スマホについて

世の大学生は皆スマホ依存症なのではないだろうか?

教室の後ろの方で前に座っている人たちをスマホ片手に観察していると、そう思わされる。

寝てはいないのだ。ノートもとっている。話も一応は聞いているらしい。

しかしスマホを手放さない。常に何かしらいじっているのである。

ゲームであったり、ネットであったり、SNSであったり様々なことをこなしながら、皆授業を受けている。

食事の時もそうだ。

ググって評価の高い店に入る。

料理を待つあいだは会話を楽しみながらスマホをチェック。

料理が出てきたらまず写真を撮る。この時にいかに美味しそうに、可愛く撮るかが重要なポイントだ。

そして加工。スマホの写真アプリはなかなか有用で、グラデーションを変えたり、彩度を変えたり試行錯誤することでより一層美味しそうな写真を作ることが出来る。

そうして、やっと一口目は食べることが出来るのだ。この際スマホは机の上に置いておく。決してカバンにしまってはならない。

そしてひとしきり感想を述べたあと、すぐさまスマホを取り出しSNSにあっぷ。

この時、周りの関心を得ながら的確に味を伝える文章を綿密に構成する。

そうして残りを食べ進めながら周りの反応を見ている。

起きたらSNSにおはよう、寝るときはSNSにおやすみ、映画を見たらレビューを書いて...

キリがない。もうやめておこう。

まあ、大分オーバーに書いた気がするが、私たちの生活は皆にシェアすることが義務付けられているし、他人よりも優れた生活を送ることを強制されているのだ。

常に何かしらの情報をインプットし、常に何かしらの刺激を受け、常に誰かに情報を発信し、常に誰かに見られている。

大学生の生活ってそんなものではないだろうか。

いつも周りの目を気にして、自分が一番有意義な生活を送っている、と思い込むだけの時間。

ちっぽけな承認欲求を満たすためだけの時間。

と、僕はこんな文章を、スマホで書いてシェアしようとしている。アホらしい。

まあそういう時代だから仕方がない。スマホ依存症の大学生なのだから。

 

 

掃除について

僕は掃除が好きだ。といっても毎日の掃除ではなく、たまに行う大掃除。これが好きだ。

テストの直前、レポート提出の前、バイトに行く前...何か嫌なことを控えた時には僕は決まって大掃除を始める。

まあただの現実逃避である。子供というかなんというか

しかし掃除が終わったあとのすがすがしい気持ち、達成感は何事にも変えがたいものである。

机にたまったホコリを拭き取ったとき、床に落ちてる髪の毛を吸い取ったとき、家中の金属をピカピカに磨いたときの気持ちよさは形容しがたい。

そしてなにより掃除をしているときには時間がゆっくりと進む感覚がある。

座禅をしている時のように、何も考えずただ黙々と作業をする瞬間。これがたまらなく好きなのだ。

だから追い詰められて、悩みに悩んでいる時に掃除をしたくなるのだろう。

頭を空っぽにできて、程良い達成感を得ることのできる掃除を。

そして今僕の部屋にはグチャグチャになった洗濯物、ペットボトルの山、本の山が形成されている。

これはしばらく頭を空っぽにしなければいけないようだ。

四畳半神話大系について

僕が初めて触れた森見作品であり最も好きな小説の一つでもある作品です。

アニメ化もされているから知っている人も多いのでは。

京都大学で鬱々とした生活を送っている主人公「私」の大学生活を描いた作品で、

個性的すぎるキャラクター、独特すぎる言い回し、唐突すぎる展開と、まあ一言で言うなら「癖がスゲエ」。

ハマる人にはハマるし、無理な人には無理な作品でしょう。

僕はガッツリハマるタイプの人間でした。この本に人生狂わされたのではないかというほどに。

この作品(というか森見登美彦作品全般)で描かれる京都はファンタジーの世界で、僕はそれに憧れて京都に来たといっても過言ではありません。もちろん現実は全然違いましたが。たぬきや天狗は街を謳歌していないし小津や師匠みたいな憎めない変人たちもいないし、明石さんのような黒髪の乙女もいない。

一体どこにいるのだろうか黒髪の乙女は。

ただ、大学生になって読み返してみると、「私」の心情表現だけは妙にリアルだということに気がつきました。

この作品では4つのパラレルワールドが描かれているのですが、どの世界でも「私」は、あの時別のサークルに入っていれば...そうしたらもっと素晴らしいキャンパスライフを手にしていたのに...、と思っているのです。

これは、大学生ならば共感できるのではないでしょうか。どんなにサークル活動を楽しんでも、心のどこかでいつも、もっといいサークルがあったのでは?もっと有意義な時間の使い方があったのでは?と考えてしまうのではないでしょうか。

いや大学生に限らず誰しもが過去の選択は間違っていたのではないか、もっと素晴らしい人生があったのでないかと考えているのではないでしょうか。

無限の可能性がある、というのは一見素晴らしいことのように思えますが、裏を返せば何をしても何を選んでも満足できないという恐ろしい事実でもあります。

そんな、誰でも持ち得る悩みに対してこの作品は次のような答えを示しています。

「何を選んでも大して変わらない」と。

「私」は4つのパラレルワールドでそれぞれ別のサークルに入っているのですが、先に述べたようにどの世界でもサークル選びに公開して、鬱々とした生活を送っているし、小津には振り回されるし、明石さんとは結ばれています(羨ましい)。

結局最後には同じところに収束しているのです。

それならば現状に悩むことなど全く意味がない、ただ「運命の赤い糸」と「運命の黒い糸」に身を委ねるしかないのでしょう。

これは、悩みの尽きない大学生にとってある種の救いだと思います。

ファンタジーの世界で大学生の鬱屈したリアルな悩みを描き、それに対して一つの答えを描いている。だから僕はこの作品が大好きなのです。

名前について

腐れ大学生、という名前を聞いてピンと来る方もいらっしゃるかと思います。

この腐れというのは、いわゆる腐女子とかそういう類のものとは一切関係ありません。僕の大好きな森見登美彦さんの本の中でよく使われる言葉です。

所謂リア充とは対極の存在の、ただただ阿呆なことに時間を費やし、モヤモヤした気分を抱えながらアパートにひきこもる哀しき男たちのことを指します。

僕も中学、高校の時は物語の中の腐れ大学生たちを心底見下し、このような人間にはなるまいと固く心に誓ったものですが、ふと現在の僕の姿を見てみると、どこに出しても恥ずかしくない腐れ大学生となってしまっているではないか。こんなはずじゃなかった。責任者はどこか。

このブログについて

初めまして。腐れ大学生といいます。京都で大学生しています。

日記を自分ひとりで書いても続かないし、それならブログにしちまえ、と思い立った次第でございます。

なのでなんと言いますか、完全に自己満足のブログです。

個人的な出来事について書いたり、思いついたことを書いたり、自分が好きなものについて書いたりします。

世間知らずの学生風情が勝手に思ったことを書いていくので、とんちんかんなことを書くかもしれませんが、ただ僕がそう思ったというだけなので、あまり気にしないでください。

あと隠しきれない文章力の低さについても、どうぞ温かい目で見守っていただけると嬉しいです。

それでは、いつまで続くかはわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。